2016年8月12日金曜日

ミャンマー観光地 ピィ Pyay





ヤンゴンの北西約300km、ヤンゴン都バガンのほぼ中間にピイはある。古代ピュー族の王朝タイエーキッタヤーの首都ピューが存在していたのはこの付近だ。現在のピイはバガン王朝時代、エーヤワディー川に望む交易都市として建設されたもので、イギリス植民地化以降、上ビルマと下ビルマを結ぶ河川輸送の重要な中継地点として発達した。1877年に開通したこの国最初の鉄道路線は、ヤンゴンとピイを結んだ。現在でも水運の中継地として栄えている。
また、エーヤワディー川東側にある比較的大きな町で、市街を見下ろす丘の上には黄金のシュエサンドー・パヤーがそびえている。商店や食堂が並び賑やかなのは、ボーヂョーアウンサン像の南北に走るランマドウ通りLanmawdaw Stとヤンゴン・ピイ通りYan-gon Pyay Rd。駅前にも食堂やティーショップがある。川沿いのストランド通りは、夕方になると涼を取る人たちでにぎわう。通りから下りた河川敷にもティーショップが出る。

シュエサンドー・パヤー (Shwesandaw Paya)



ヤンゴンのシュエダゴオン・パヤー、バゴーのシュエモード・パヤーと並ぶミャンマー三大仏塔のひとつで、聖なる巡礼スポットになっている。丘の上にあって眺めもよく、エーヤワディー川やピイの街並みを一望出来る。仏陀の頭髪が祀られているとされており、周囲にも東参道口の大仏をはじめ仏像や寺院がいくつも散在している。

タイエーキッタヤー(Thayekhittaya) スリ・クシュトラ(Sri Kshetra)



ピイの北東約9kmにある、ピュー族の古代王国タイエーキッタヤーの遺跡群。城壁に囲まれた中やその周辺に、王宮の跡、寺院跡、仏塔等が残っている。砲弾型をした独特な仏塔が3箇所あり、見逃せない見所になっている。見所は離れて点在しておりわかりにくいので、モウザ村Hmawzarにある博物館で道を尋ねるといい。博物館の職員に案内も頼めるが、いくらかの謝礼は必要になる。雨期は道が荒れるので、牛車をチャーターしないと回れない。

シュエミェッマン・パヤー(Shwemyethman Paya)



ピイの南14km、シュエダウン村にある寺院で、メガネをかけた大仏が祀られている。もともとは土地の貴人が好奇心を誘って人々の信仰心を高めようと仏像にメガネをかけたのだが、いつしかこの大仏が病気、特に眼病を治すと信じられるようになった。初代のメガネは壊れ、2代目は盗まれてしまい、現在かけているのは三代目。本道入口に有る大きなケースにはこの仏像のご利益で目が良くなった人が納めた、不要になったメガネがたくさん保管されている。

シュエナッタン・パヤー(Shwenattaung Paya)



広々とした田園地帯の中の、緑の濃い森の高みに威風堂々とそびえ立つ、「黄金の魂の山」という名の仏塔。タイエーキッタヤー時代の創建と思われるが、現在のものは後期バガン様式を示している。
ゲートをくぐるとすぐ左側に蓮の池が有り、その奥の高みにあるのがシュエナッタン・パヤー。右側にあるのはシンチョムニ・パヤーで、顔以外すべて黄金の絢爛たる大仏を拝観できる。ここにも小さなメガネをかけた仏像がある。
シェナッタン・パヤー奥のマシン・パヤーには宝石で飾られた小さな仏像が大切に保管されている。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】

ミャンマー観光地 インレー湖 Inre Lake





シャン高原にあるインレー湖は、南北約22km、東西約12kmの細長い湖で、周囲の景観も合わせ、風光明媚という言葉がぴったりの土地だ。水深が乾期の頃なら2m、雨期の終わりでも6m程度と浅いため、アシをはじめとする水草が繁茂し、浮島を形成している。インレー湖観光の拠点となるニャウンシュエからは、浮草のあいだの水路を船で移動する。広々とした青い湖面に出ると、時折インター族の漁船に出会う。細長い小舟の先端に片足で立ち、もう一方の足で擢を操る独特の漕ぎ方が珍しい。湖の周辺や浮島には彼らインター族の水上村があり、その中の葉巻工房や織物工房などを見学できる。
標高約900mにあるため夏でも冷涼で過ごしやすく、乾期にインレー湖へ行くならセーターなどの防寒具は必携。湖の東西には山々が連なり、トレッキングも楽しめる。

ヤダナマンアウンパヤー (Yadana Man Aung Paya)



ニャウンシュエでは最も古い仏塔で、階段状の独特なフォルムをもつ。博物館にあるリアルな「老いの像」「疾病の像」は、仏陀の四門遊観を表している。

カーペー僧院 (Nag Phe Kyaung)



湖上に建つ木造の僧院で、住みついている猫たちがジャンプし、輪っかをぴょんとくぐるので有名。
本堂にはシャン、チベット、パガン、インワの各スタイルの仏像が数多く祀られており、それらを安置する台座もシャン州や体北部に見られる特徴を備えたもので、数百年の歴史をもっているといわれている。

インディン (Inn Dein)

ファウンドーウーパヤーのあたりからにしへ30分ほどボートで行ったところにインディンがある。言い伝えでは、仏陀の死後200年頃に、聖骨を祀るためにこの地に仏塔が建立されたと言われているが、定かではない。17世紀から18世紀に建てられた1054の現存する仏塔は野ざらしで広がり、その多くは崩れかけている。
インディンの船着場も五日市が開かれるので、日程が合えばこの日に訪れたい。またインディン周辺には、カヤー州から移動してきたパダウン(首長族)の8家族が住んでいたが、いまはインレー湖のお土産物屋で機織りをしながら生活を続けている。

カックー (Kakku)



インレー湖の東の山を超えたところにある遺跡で、2000年9月に外国人旅行者に海王された。もともと12正規にアラウンズィートゥー王がこの周辺に住むパオ族とシャン族の各家庭に一つずつ仏塔を寄進するよう指示したのが始まりとされ、その後16世紀、18世紀の3回にわたって次々と拡張され、最終的には2548を数える膨大な仏塔郡が完成した。各仏塔の大きさの違いは家の財力に、形の違いは部族によるもので、狭いエリアにビルマ様式、シャン様式、パオ様式が混在してびっしりと並んでいる。中央にある白い仏塔は紀元前のアショーカ王の時代に作られたものを整備しており、北の入口にある金色の豚の像はカックーの森を開くのに活躍した豚の精霊を祭っているといわれている。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】

2016年8月7日日曜日

ミャンマー観光地 ピンウールィン(メイミョー) Pyin Oo Lwin (Maymyo)



19世紀後半に当時のビルマはイギリスの植民地となり植民地経営のために多数のイギリス人がやってきた。しかし彼らが参ったのは暑さ。どこが過ごしやすい場所はないかと探し回った彼らが”発見”したのが、高原のマチビンウールィン。マンダレーの約70km東にあり、海抜は1100mほど。暑い季節には死者すら出るマンダレーに比べると、まるで天国のように涼しい。イギリス人はこぞって家や別荘を建て、現在でも町には古い洋館がたくさん残っている。郊外には洞窟寺院や植物園などもあり、最近はミャンマー人の旅行先としても人気が出てきている。

国立カンドーヂー植物園 (National Kandawgyi Gardens)



2001年に拡張されて、1.6k㎡(400エーカー)を超える広大な規模となった植物園。園内には大きな池があり、それを取り巻くようにさまざまな植物が植えられている。その花々が咲き乱れる様子はとても美しい。観光スポットとしても人気である。

国立ランドマークスガーデン (National Landmarks Garden)



国立カンドーヂー植物園のそばに、2006年12月に完成したテーマパーク。約2万3000㎡(56.67エーカー)という広大な敷地に、シェタゴォンパヤー、チャーティーヨーのゴールデンロックをはじめ、国内最高峰のカカーボラージー山、バガン近郊のポッパ山、ピンダヤの洞窟寺院、インレー湖、マンダレーの旧王宮、サガインのカウンムードーパヤー、世界で2番目に高いゴッティ鉄橋など、ミャンマー各地の見所の模型が20以上も点在している。

ペイチンミャァウン(洞窟寺院) (Peik Chin Myaung)



ピンウールィン郊外にある、奥行約600mの鍾乳洞を利用した洞窟寺院。谷あいの大駐車場から続く屋台郡を抜けると、岩肌に大きく開いた穴から大量の水が流れ出している。もともとはだただの洞窟だったのだが、政府の手によって1990年に大規模な改装工事が行われ、国内の有名寺院を模した仏塔やたくさんの仏像が収められ、一大観光地に仕立て上げれれた。ここから5分ほど歩くと滝がある。

アニサガンの滝 (Anisagan Waterfall)



高原の町ピンウールィンには郊外に大小様々な美しい滝がある。いずれも行楽地となっており、つかの間の涼を求めて人々が訪れる。中でも落差約45mのアニサガンの滝は周辺でも最大で、赤い岩肌を白い大量の水が真っ直ぐに流れ落ちる様は迫力がある。滝にたどり着くまでは急な山道を歩く必要があるが、その美しさに疲れも汗も吹き飛んでしまうほどだ。滝壺では泳ぐこともできるので水着を持参しよう。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】

ミャンマー観光地 シットウェー Sitway



白い帆を張った漁船が行き交うカラダン川が、ベンガル湾に注ぎ込む河口の町シットウェー。バングラデシュと国境を接するヤカイン州の州都で、古都ミャウーへの玄関口。ダニヤワディ、ヴァザリ、そしてミャウーと3つの王朝が、2000年にわたってこの地域を治めた。ことにミャウー王朝はアジアと中東、ヨーロッパを結ぶ交易港のひとつとして栄え、ヒンドゥー教と仏教が融合した独自の文化を残している。


ヤカイン州文化博物館 (Rakhaing State Cultural Museum)



1階はおもに、5~7世紀に栄えたヴァザリ王朝や15世紀頃のミャウー王朝時代のコインやレリーフといった出土品、古代都市を再現したジオラマなどを通して18世紀までのヤカイン州の歴史を概観できるようになっている。2階は楽器や民具、婚礼衣装、織機、伝統的な家屋の模型などの民族的資料を中心に展示。仏教美術のコーナーとして、出土品だけでなくミャウーにある仏教遺跡の模型も展示されている。3階は図書館。

アトゥラマジピロンチャンタパヤジー (Atulamarazi Pyelon Chanta Payagi)

通称パヤジー。僧院風の質素な外観が、建物の柱は金と緑で装飾されている。金色に輝く大仏は金・銀・ブロンズからできたもので、1900年頃に鋳造されたという。

ローカナンダパヤーとサチャムニ像 (Lokanandar Paya& Sa Kyamuni Images)

ローカナンダパヤーは、1995年に建立された比較的新しい仏塔だ。円柱で支えられた内部は開放的な構造。この仏塔の裏側に遮光ガラスで覆われた廊があり、紀元前11年の作と言われつサチャムニ(釈迦尼)像が納められている。この小さな像の表面にはさらに小さな仏像が1162体貼り付けてある。

仏陀美術館 (The Buddha Museum)

小さな仏像や古いコイン、紙幣から化石、鍋釜にいたるまで、さまざまな寄進物が雑然と展示されている。僧侶の骨まである。

ザポイント (The Point)

カラダン川がベンガル湾に注ぎ込む、まさに河口の突端に位置する小さな公園。敷地内には軽食が取れる食堂や展望台があり、沖には灯台が見える。右側には黒っぽい砂のビーチが広がる。

ミャウー (Mrauk‐U)



ヤカイン州の古都ミャウーは、小高い丘に茂る木々の合間に、金色の仏塔がいくつも見え隠れする静かな町。1433年、ミンザウモン王がこの地を都に定め、1785年にビルマ王朝に併合されるまでの約350年間、強大な独立国(アラカン国)として西部ビルマに君臨した。
小高い丘と黒ずんだ古い城壁に囲まれた町全体が、70余りもの仏塔や寺院からなる遺跡にすっぽり収まっている。主な見所は王宮跡の北側に集中しており、遊歩道が整備されているので、半日もあれば見て回れる。街の中心に位置する王宮あとには城壁の遺構が残るだけ。船着場と王宮跡を結ぶ道沿いにあるマーケット周辺が、安食堂や商店が並ぶ賑やかな一帯で、朝夕には屋台も出る。町の南部には、敵に侵入させない目的で造られたという人工湖があり、人々の憩いの場となっている。

王宮跡と考古学博物館 (Palace Excabate Site & Archeologica Museum)

15世紀に建てられたミンブン王の王宮は、黄金や宝石で飾られた木造の豪華な建物だったという。はるか昔に火事で焼失してしまい、雑草に覆われた城壁が残るのみ。考古学博物館にはブロンズの小さなストゥーパヤや仏像のほか、シヴァ神像や石の星座盤、アラビア文字で描かれた碑文、ポルトガル人の墓石など、多くの出土品が展示され、この地で豊かな文化が花開いた事実を伝えている。

シッタウン寺院 (Sittaung Temple)



ベルの形をした大仏塔を小さな33個の仏塔が囲む外観が、インドネシアのボロブドゥール遺跡を彷彿させるこの寺院は、1535年ミンブン王によって建立された。
その名は八万仏寺を意味し、8万体の仏像と、それと同じ数の遺物が奉納されている。船で運んできたという大きな石で造られた境内は5つの回廊からなり、外側から順に、座仏のレリーフ、ヤカイン州独特の風俗を描いた典雅なレリーフ、仏陀の前世を描いたレリーフなどを見ることができる。仏塔の高さは約26m。内部の回廊部分は真っ黒なので、懐中電灯を持参するか、電灯代(1000K)を寄付して明かりをつけてもらう。

ダッカンゼイン寺院 (Htuk Kank Thein Temple)



シッタウン寺院の向かいにある城塞のような建造物が、ミンパラウン王の命により1571年に建立されたダッカンゼイン寺院だ。内部を巡る回廊には146体の仏像がある。

オンドーウーゼイン寺院 (Andaw Thein Temple)



重厚な積みレンガの仏塔と、その周りを等間隔に8つの仏塔が取り囲み、比較的小さな建物がオンドーウー寺院だ。中心の仏塔内部には八角形の回廊が巡らされ、壁面にはさまざま表情の仏像が並ぶ。1521年にミンフララザ王によって建立されたのち、ミンブン王がスリランカから持ち帰ったとされる仏陀の歯を奉納するため、1598年にミンラザジヂー王が再建したという。

ヤダナポンパヤー (Ratanapon Paya)

第二次世界大戦中に爆撃を受けたというが、今はきれいに修復されている。中心の巨大な仏塔の東側に仏像が配置され、周りを16の小さな仏塔が囲んでいる。1612年建立。

ランブワンプラパヤー (Laung Buwann Prauk Paya)



八角形をした美しい仏塔で、ミンハングラザ王によって1525年に建立された。仏塔の外壁にある16のレリーフが、優雅な装飾となっている。幾分剥がれているが、境内を支える土台には色鮮やかなタイルの花模様が施されている。

ピタカタイ (Pitakata Taik)

遊歩道の北端、折り返し点にある、華麗な装飾が刻まれた石造りの建物。小さな祠のようだが、スリランカからもたらされたという仏典を保存する書庫として使われていた。かつてはこのような建造物がいくつもあったが、今ではこれが現存する唯一の書庫だという。1591年、ミンパラウン王によって建立された。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】