2017年5月14日日曜日

ミャンマー内戦 全土停戦合意を阻むもの

~オピニオン~
ミャンマー内戦 全土停戦合意を阻むもの
マウンザミ*

2015年8月第2週、ラングーンでミャンマー文民政府と複数の少数民族武装組織(EAO)を代表する交渉担当者との間で行われた9回目の停戦交渉は、包括的な合意に至ることなく終了した。

その後の8月19日の首都ネピドー。ある条件のもとで、テインセイン大統領を含む政府とEAO幹部らとの間で高官級協議がもたれた。その結果、EAO側は次の少数民族軍を除いたかたちの全土停戦合(NCA)への調印を決めた。除外した組織は、コーカン族ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン/パウラン民族解放軍(TNLA)、アラカン軍(AA)、ワ民族解放機構(WNO)、ラフー族民主同盟(LDU)、アラカン民族評議会(ANC)の6つだ。

この停戦合意は、世界で最も長く、67年にもおよぶ内戦を終わらせるための重要な第一歩となるだろう。しかし、和平への第1の差し迫った障害は、停戦に向けた政府提案が、包括的なものでなく、部分的な停戦を意味する類のものであることだ。

このように、一部の組織を除いたかたちで停戦合意を進めても、ミャンマーの恒久平和への見通しが変わることはない。2013年11月3日付けニューヨークタイムズ紙に掲載された「ミャンマーの平和への道筋」と題する筆者の論評で「1948年の独立前夜、ビルマ国家主義の指導者らは、民族の平等が新しいビルマの礎となるだろうと誓った。しかし、現実は違う。平等の実現と調和の保たれた連邦制の未来像が、真に追求されることがない限り、政府の和平への呼びかけには、いくつかの少数武装組織が答えるだけだろう」と書いたが、ミャンマーの平和は、真の平等という問題が未解決のまま、2年前と変わらず、先が見えない。

ミャンマー中央政府と民族武装組織との敵対関係に終止符を打つには、すべての民族武装組織の明白な合意が必要であるにも関わらず、政府は全土停戦合意(NCA)の調印から、前述の6つの武装組織を除くことを主張している。「全土停戦」とはすべての民族組織との合意が前提条件となるわけだが、6つの武装組織と中央政府が停戦の相互合意にまだ達していないことを理由に、6組織を除外した「全土停戦」が公式に正当化されている。

これらの民族組織が、相互停戦協議の即時開始にむけて合同声明を発表したとき、政府はこの呼びかけに応じなかった。これは自治の重要な原則である民族平等を無視する、中央政府の反連邦主義的行為に他ならない。ミャンマー中央政府の信頼性が問われている。

EAO側でも「調印という形でなくとも、ミャンマー全土における停戦合意を、真剣に模索している多くの少数民族武装組織(EAO)を、公式に除外してしまうものだ。これらの紛争地域に挟まれた人々の生活圏では、日々続く軍事攻撃の即時停止が何としても必要なのに」と代表団幹部から批判が出ている。

少数民族の代表者は「兵力の配備や境界線が各民族地域にまたがり、重なり合ったりしている一発触発の状況下で、人々が日々武力紛争にさらされている状態だ。他地域の休戦が、近い将来に新たな紛争を引き起こす可能性は極めて高い」と強く主張している。

さらにEAOの代表団幹部は、「少数民族は一般的に『分割統治』のもとでの停戦協定には、そもそも特定の民族集団は含まれていないと考えている」と説明する。

第二の障害は、停戦提案におけるミャンマー政府の信頼性の欠如だ。権力配分をしている連邦主義者の大真面目な演説で言及される「停戦」、「和平」、「民族の平等」など、政治家の言葉だけの空疎な公式の呼びかけと、いくつかの民族集団に対して行われている国軍の卑怯な軍事的襲撃の、どう考えても相容れないギャップを考えると、EAOは全土停戦合意になかなか踏み切れない。

ごく最近、ミャンマー軍はマリヤンに包囲網を築いた。そこは、カチン独立機構(KIA)の支配する地だ。ミャンマーの内戦問題について民族の枠を超えて、医療や物資の提供などの人道的支援活動を行う組織、FBR(Free Burma Rangers)によると、同国の少数民族地域における紛争を監視する専門のNGO組織は、6月だけで、81の衝突と兵力増援の投下を含む2700以上の軍部隊の動きがあった。

さらに、カレン軍の士気をくじくため、ミャンマー軍は、紛争地域の住民に対する人道支援や緊急救出を妨害し、罪のない村民らに対する不当な逮捕、強制労働、拷問にも関わっている。 

停戦と和平を阻害する最も重要な第三の要因は、連邦共和制の新生ミャンマーの基盤として神聖視される民族の平等を、ミャンマー指導者層が認めないことだ。

ミャンマー少数民族を落胆させたのは、政府が地方議会への権限移譲を拒否していることだ。連邦制反対勢力は、憲法上認められている権利や、指導者を自ら選ぶことを含めた少数民族の地方自治を事実上否定する動きをとっている。

少数民族の交渉担当者は、ミャンマーの中央当局がほかの少数民族に対して、いまだに内向きな、植民地主義的考え方に凝り固まっている、という見方を変えていない。

EAOの代表団幹部は、EAOの鍵となる中国の支援や関与を断ち切ろうとする、政府の裏工作に完全に気付いている。

ミャンマーと中国の国境に沿っておよそ1600キロメートルの範囲に存在する、最強の軍事力を誇る民族集団のひとつ、キリスト教系カチン族は、隣接する大国中国とビジネス、文化、そして戦略上、重要な関係にある。

最近リークされたビデオのなかで、ミャンマー当局者は、反中国国家主義者、反イスラム国家主義者の一団に、カチン州北部での伐採により捉えられた、隣接する中国雲南省の155人の伐木業者を、政府が逮捕後すぐに釈放した理由を説明する姿が映し出されている。停戦交渉のプロセスで武装勢力を押さえ込むため、中国の協力を引き出す狙いがある。

ミャンマー政府は、「民族武装組織の指導者と和平交渉担当者が、『理想主義者』、『頑な』、『非現実的』として交渉から除かれることなく包括合意できるようにしたい」と主張。政府は停戦と和平に向けた交渉プロセスに希望者全員を参加させる代わりに、互換的な交渉の道を選んだ。

残念なことに、ミャンマーの紛争地域が、農業、観光業、その他の営利企業にとって都合のよい安定した場所に変わることを期待する国際的な平和支援者らは、停戦交渉における少数民族の指導者の、公式だが不誠実なこの対応を受け入れることを選んだ。

8月第2週にヤンゴンで行われた停戦交渉の直前に開催された公式晩餐会の席で、ミャンマーに派遣された欧州連合(EU)のローランド・コビア大使は、武装組織リーダーの代表団幹部に「プラグマティズム(実用主義)」の長所や、紛争地域の少数民族のためにも「妥協」が必要だと述べた。それが偉そうに説教していると受け取られ、EAO代表団幹部らを激憤させた。

筆者は、2004年から2008年までミャンマーの軍諜報機関と、特定の西側政府や亡命した元反体制派との間のTrack II交渉や「許可なし外交」の進行役をボランティアで務めた経験から、ミャンマーの軍指導者がどのような交渉アプローチをとるかよく分かっている。

筆者は最も有力なミャンマー多数派の出身だ。現在は政界から半ば引退した、まさに初の司令官であるタンシュエ上級大将や、彼の先輩であるVIP軍パイロット、独裁者の故ネウィン将軍を輩出した大きな軍閥の出身である。我々ミャンマー人が、この国の少数民族の人々をどのように見て、どのように接するのか、そしてそれがいかに植民地主義的なものであるかを認める。

10年前筆者は、当時カレン族の戦闘地域だった鉱山採掘で、荒廃したミャンマー東部を移動するカレン民族解放軍(KNLA)の兵士たちに同行したことがある。この同行を通して、少数民族が単なる書類上の「全土停戦合意」でなく、彼らに対する不当な扱いへの政治的、平和的解決と、その結果として生じる恒久平和を心から希望し、必要としていることを肌で知り、深く感激した。

結局のところ、70年近い内戦で最も苦しめられてきたのは、全人口のほぼ40%を占めるこうした少数民族の人々なのだ。彼らは政府軍の手によるありとあらゆる人権侵害、戦争犯罪、残虐行為を受けてきた。少数民族の女性、少女への性的暴行、強制労働、無差別の村落焼き討ち、そして水田、農耕地、家畜のほか価値のあるものはすべて没収された。対人地雷で手足を失い、人命が奪われた。人々の、社会の安全の欠如。「普通の生活」の不在。

鍵となる交渉担当者のひとりで、モン族の名だたる指導者ナイホンサは、ミャンマーの内戦を終結させる上で障害となる、重要な指摘をした。「我々が結束を維持できれば、全土停戦合意に至りそれを継続できるだろう。それが我々の強さだ。タッマドー(ミャンマー国軍)に、我々を分裂させるようなことはさせない」

自ら設定した8月末までの停戦合意期限の土壇場になっても、ミャンマー政府と国軍は依然として「分割統治」の手法に頼っている。日本やノルウェーなど援助国からの国際的圧力、軍事攻撃、そして紛争地帯の罪のない民間人に対する人道的支援の妨害などだ。

悲しいかな、ミャンマーの和平は遠い。戦争で破壊された社会と戦争による難民にとっては、残念な知らせだ。

*マウンザミ 
ミャンマーの反体制派の亡命学者。ミャンマーの政治問題を27年にわたり研究している。

本稿で表明されている見解は、筆者によるものでDemocratic Voice of Burma社の編集方針を反映しているものではありません。

(Burma LinkよりJMSA翻訳)