2016年7月30日土曜日

ミャンマー観光地 バゴー Bago


ヤンゴンの北東約70kmにあるバゴー。日本ではペグーとも呼ばれるこの街はバゴー管区の州都であり、マンダレーやバガンと並ぶ古都としてしられている。13~16世紀にはモン族の王都となり、下ビルマの中心として栄えた。しかし18世紀半ば、最後のビルマ族王朝コンバウン朝を開いたアラウンパヤー王によってバゴーは征服され、昔日の永華を取り戻すことなく今日にいたっている。

シュエモードパヤー (Shwemawdaw Paya)











バゴー最大の見どころともいえるこの仏塔の歴史は古く、1200年以上昔にさかのぼると言われている。仏陀の遺髪2本を収めるために、高さ23mの等を建てたのが始まりと言われている。その後塔は、何度も改築された。現在見られる塔の高さは114mあり、ヤンゴンにあるシュエダゴォンパヤーよりも高い。

ヒンタゴンパヤー (Hintha Gon Paya)
シュエモードパヤーの東の丘の上に有り、緑豊かなバゴーの街を一望できる。ヒンタという神話の鳥が海から飛んで来てこの丘に舞い降りたとの伝承があり、丘のてっぺんにはヒンタの像がある。境内中央の仏塔はマンダレーヒルの設計者でもある隠者ウーカニにより建設されたもの。階段を登った境内手前右側には、水牛の角をかぶった女神の像があり、女性の信仰を集めている。

シュエターリャウン寝仏











バゴーで最も有名なのがこの全長55mの寝仏。994年にモン族のミガディパ王によって建立されたものと考えられている。バゴー王朝の滅亡と同時にその存在も忘れられ、やがて密林に覆われてしまったが、イギリス移民地時代、鉄道敷設のため視察に来たインド人技術者により偶然発見された。足の裏や枕のモザイク装飾も見事で、仏像の両端には精霊の像がある。

マハーゼディーパヤー (Mahazedi Paya)










尖塔の鐘の音が涼しげな、静かな仏塔。起源は16世紀半ばにさかのぼるが、18世紀半ばのバゴー王朝期に破壊され、さらに1930年の大地震によって廃墟と化した。現在の仏塔は第二次世界大戦後に再建されたもの。もともとここに収められていたといわれる「仏陀の歯」は、バゴー王朝による征服時にザガインへ移された。仏塔の中腹まで登ることができ、そこからバゴーのおもな見どころが一望できる。

シュエグーガラーパヤー (Shwegugale Paya)

一見どこにでもありそうな小さな仏塔だが、内部に回廊があり、64体の仏像が安置されている。15世紀の建立。境内には池があり、そちらにも多くの仏像がある。

マハカラヤニシマ (Maha kalyani Sima)

「シマ」とは出家の儀式を行う場所のことで、回廊の奥、突きあたりにある建物がそれだ、15世紀の建立だが、略奪や火災、地震などたび重なる災厄を受け、再建が完了したのは1954年。現在床は大理石敷き、壁には28体の仏像が祀られている。
マハカラヤニシマから道を挟んで斜め向かいには、4年にそれぞれ仏像をは配するミターヤンナンダがある。作りはチャイウブーンバヤーと同じだがこちらは規模が小さい。

チャイプーンパヤー (Kayik Pun Paya)










バゴーの街から4kmほどヤンゴンより、ヤンゴンとバゴーを結ぶ幹線道路から500mほど脇へ入ったところに建っているのがチャイブーンの4面の仏像だ。高さ30mの太い柱4面に、それぞれ座仏が造られている。1476年にも建立されたものだと言われている。

チャッカワイン僧院 (Kya Khat Wain Kyaung)

ミャンマー国内屈指の規模を持つ総員で、常に1000人以上の若い僧侶が修行に励んでいる。僧侶たちの生活の一端をかいま見ることができ、興味深い。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】

ミャンマー観光地 チャイティーヨー(ゴールデンロック) Kyaiktiyo Paya(Golden Rock)





ヤンゴンの北東郊外、チャイティーヨーの山頂直下にある大岩の上に、ひとつの岩が危うい様子で鎮座している。今にも落ちそうで落ない不思議な岩だ。この岩の上に高さ7mほどの小さな仏塔があるが、この中に納められている仏陀の頭髪がバランスをとっていると言われている。

言い伝えでは11世紀、ある隠者が仏陀の頭髪を自分のまげの中に隠し持っていた。彼は国王に、自分の頭に似た丸岩を探し出すよう要請した。国王は海底に有った丸岩を山頂まで運び上げ、仏陀の頭髪をその上に祀ったという。この不思議な岩は、今も昔もミャンマーで屈指の巡礼地となっている。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】

2016年7月23日土曜日

ミャンマー観光地 マンダレー Mandalay


     
  
ミャンマーのほぼ中央に位置するマンダレーは、現在ヤンゴンに次ぐミャンマー第2の大都市。イギリスに占領される前までこの国の最後の王朝がおかれていた。
1752年にアラウンパヤー王が開いたコンバウン朝(アラウンパヤー朝)の8代王パガン王のあとを継いで、1853年に即位したミンドン王は、首都を当時のアマラプラからマンダレーへ移す事を決定し、1857年から建設が開始された。ミンドン王が君臨した期間は短かったが、彼は仏陀や寺院を精力的に建設し、次々と目を見張るような壮大な建物を建てた。現在はマンダレーに残っているおもな仏陀や寺院は、ほとんどがミンドン王時代のものだ。人形劇などの伝統芸能が残っているのも元王都らしい。

マンダレーヒル (Mandalay Hill)


旧王宮の北東にぽっこりと隆起した標高236mのマンダレーヒルは、全体が寺院となったマンダレー最大の聖地。頂上の仏陀まで上る途中にも多数の祠や仏陀が点在し、一つ一つ見ながら歩いていくのも興味深い。

チャウットーヂー・パヤー (Kyauk Taw Gyee Paya)

マンダレーヒルの麓にある寺院。本堂にある大きな石仏は、マンダレーの約30km北にあるサジン山で採掘された巨大な一枚岩から彫られたもの。通常ミャンマーのお寺にある仏像は、信者が寄進した金箔に覆われて黄金に輝いているのだが、ここの仏像は大理石の素肌がむきだしのままだ。

グドードォ・パヤー (Kuthodaw Paya)


マンダレーヒルの南東の麓に、バガンのシュエズィーゴォン・パヤーを模して建てられたもの。確かに中央にある塔の形はよく似ているが、それほど大きくはない。それよりもこの仏塔を特徴づけているのは、境内を埋め尽くした729の小仏陀郡。それぞれの仏塔の中には、仏陀が悟りを開いてから死ぬまでの説教をまとめた経典を刻んだ石版が1枚ずつ納められている。

サンダムニ・パヤー (Sanda Muni Paya)


クドードォ・パヤーの西隣にあるこの仏塔は、ミンドン王が王宮造営の間、仮の王宮をおいていた。ミンドン王の弟王子で1866年に暗殺されたカナウンの遺体がここに埋葬されており、その上にマンダレーヒルの長であったウ・ケンティ師が仏塔を建設した。この境内にも1774の小仏塔を林立し、仏典を刻んだ石版が収められている。

シュエナンドー僧院 (Shwenandaw Kyaung)


建物の外壁や内側、屋根や入口の周囲は手の込んだ彫刻で装飾されており、建物全体が見事な芸術作品だ。かつてこの建物は王宮の一画にあり、ミンドン王とその第一夫人はしばしばここで過ごしたという。

旧王宮 (Old Palace)


ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮。敷地はほぼ正方形をしており、一辺が約3kmと大変広い。高さ8mの城壁に囲まれ、要所に物見の等が建てられている。城壁は幅約70mのほりに囲まれており、東西南北計4本の橋で市街と結ばれている。

マハムニ・パヤー(ヤカイン・パヤー) (Maha Muni Paya)


市街の南の外れ、旧空港から北西へ約1kmのところにあるマハムニ・パヤーはマンダレー最大にして最も重要な仏塔。マハムニ・パヤーの名は、本尊にあたる高さ約4mのマハムニ仏から着ている。この仏像は創建者のボートーパヤー王の手によってヤカイン地方から運ばれてきたという伝承があるため、ここは別名ヤカイン・パヤーとも呼ばれている。

ヤンキンヒル (Yan Kine Hill)

マンダレーの東、20kmほどのところにある寺院。マンダレーヒルを整備した高僧ウ・ケンティ師が約100年前に建立したといわれている。丘に沿って立つ寺の上部には、小さな洞窟の中に金の仏像と金の魚の像がある。ブッダは様々な動物や鳥、魚などに転生したことがあるといわれており、これは仏陀が魚であったとき、漁師から逃れるためにこの洞窟に入って助かったことから作られたという。

マハーガンダーヨン僧院 (Mahagandhayon Kyaung)


国内最大級、最高位の僧院のひとつで、全国から集まった1000人近い僧侶が修行生活を送っている。外国人の見学も歓迎しており、10:20頃訪れると大きなホールで大勢の僧侶が一斉に食事をする様子が見学できる。

ウー・ペイン橋 (U-Bein Bridge)

ウー・ペインとは、インワからアマラブラへと遷都された際の、市長にあたる人物。彼は寂れかけたインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために全長約1.2kmのこの橋をかけた。
160年近く前に作られた橋が、修復を重ねながら現在でも立派に人々の役にたっている。

【出典 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)】